長年にわたって国家公務員を務めて退職した、自他ともに認める堅物の知人から、「幽体離脱殺人事件」を観たというメールが届いた。
お前もいい年をして、殺人だサスペンスだと品のないことをやっていないで、NHKの「篤姫」の面白さを見習って勉強し直せ。
といった意味のことが、やわらかい表現でしかしその実きつく書き記してある。
う~ん、「篤姫」はそんなに面白いか?
確かに、三十話あたりの家定との夫婦生活をめぐるくだりまでは、そこまできれいごとで処理するかと突っ込みを入れながらも、根底に流れる「じゃじゃ馬姫の愛と青春の光」譚を楽しく観ることができた。
だが、その家定が死んで以後の展開は、髪を下ろして院号を名乗る身になったという制約もあり、必然的に「板付き芝居」をするしかなくなって、主人公にほとんど動きがないという陥穽にはまり込んでしまっている。
有体に言って、ここ十話ほどの篤姫はただ大奥の畳の上に座っているだけで、ああでもないこうでもないと世の激動に戸惑うばかり。
もちろん、それは立場上仕方のないことで、代わりに幕末を生き抜いた男どものドラマで話を彩るという手法が採られることになる。
だが残念なことに、そこを詳しく描写するにはあまりに現実のドラマが濃すぎて、いかに大河ドラマといえども時間の余裕がない。
勢い、歴史上有名なあの事件この事件を、ダイジェストで追うモンタージュ風な展開になって、芝居が薄いことおびただしい。
と、その割りに昨日の玉木竜馬くんの死などは、これでもかとばかりにおセンチに煽ってくれるから、しつこい演出だなと思わず画面に突っ込んでしまう統一感のなさ。
まあ、ラストに至ってようやく「大奥を守り抜く」ことこそが使命であると、悩める大御台も自らの役割を見つけたようだから、これ以後に咲くであろうヒロインのもうひと花に期待しているところではあるが……。
というところで、もう一人の姫である別姫=虞美人になぞらえたお話、「覇王別姫」を数年ぶりにNHKハイビジョンで鑑賞。
幕末から明治の激動期を描く「篤姫」に対して、こちらは清、中華民国、満州国、第二次世界大戦を経て中華人民共和国、そしてあの文化大革命から70年代へと文字通りの現代中国史を、京劇になぞらえた大河ドラマで描き尽くしてくれる。
同じテーマを持つように見える両作だが、大きな違いは主人公の出自。 今泉島津家という、分家ながら薩摩の大大名の血筋につながる篤姫に対し、娼婦の息子であり、日本で言うところの河原者の生まれである豆子は、天と地ほどに境遇が違う。
最も貧しい者が最も美しい扮装をする。
とは、江戸時代の花魁、松の位の太夫職の女性たちを指した形容だが、レスリー・チャン演じる程蝶衣にもそのたとえが見事なほどに当てはまっている。
加えて、生まれながらに持っていた指の奇形と、もしかすると漢族ではなく満州族の血を引いているのではと思わせる描写が、蝶衣、さらにはチャン・フォンイー演じる小楼の、避けがたい少数民族の屈折を暗示しているような気がする。
そんなアナーキーなタッチに、さらにもう一本鮮やかな横糸を織り込んでいるのが、コン・リーの演じる娼婦菊仙の物語。
「SAYURI」では、それじゃ芸妓じゃなくて夜鷹だろうと、心ある日本人観客をのけ反らせたコン・リーだが、こちらの演技には文句のつけようがない。
その菊仙が紆余曲折、絶望の果てに自殺し、別姫=虞美人の故事に倣って、最後には蝶衣が剣を呑んで自害する。
「虞や虞や汝を如何せん」。後にレスリー・チャンが辿った自殺という運命を思うとき、カンヌのグランプリ作品として、最初に観たときとはまた違う思いがわいてくるのを禁じ得ない。 そんな三時間あまりの鑑賞だった。
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