先日、と言っても二カ月以上前になる八月のある暑い日、調べ物と避暑をかねて箱根の芦ノ湖畔へ出かけた。
その取材を済ませて、関所跡から湖畔の並木道をたどり、お茶でもするかと山のホテル方向へ歩いているとき、ふと三十年以上前の光景が蘇ってきた。
1971年の8月6日、私は胸まで伸びた長髪を風になびかせて、同じこの道を歩いた。そう、あの伝説の野外イベント『箱根アフロディーテ』の観客の一人として……。
『箱根アフロディーテ』は、日本では初めてと言っていい、野外で開かれた本格的なロックコンサートで、先ごろ話題になった亀ちゃんや、糸居五郎さんなどが中心になって、日本でも“ウッドストック”をというコンセプトのもとに企画された一大イベントだった。
何しろ、メインのアーティストはあの『原子心母』の“ピンク・フロイド”、前座を『サイモン・セッズ』の“バブルガム・カンパニー”と、『いちご白書』の“バフィー・セントメリー”が務めるという豪華布陣。
加えて、日本側からは“モップス”、“成毛滋&つのだひろ”、“ハプニングス4”、“渡辺貞夫”に“菊地雅章”に“佐藤允彦”らのグループが迎え撃つというプログラムだから、当時のヒッピーまがいの若者たちがこれを見逃す手はない。
その頃、私は大学を卒業するかしないのかの瀬戸際で、先輩の松原敏春さんの門下に入り、あるロックミュージカル公演の手伝いをしていた。(そのミュージカル『ロック戦争』については、いつか稿を改めて書こうと思う)
その松原さん、喰始さん(ミュージカルの主宰者の一人だった)を筆頭に、仁、ジョージ、サラ、ピタゴラス、TON、お京などと、今に至るも本名を知らない役者たちと一緒に、私はその朝小田原駅に降り立ち、バスに乗り換えて会場へ向かった。
コンサートが行われたのは、現在成蹊大学の某施設がある辺りの斜面、当時はもちろん一面の草原だっただだっ広い敷地である。
それにしても、よくもこれだけヒッピーまがい、フーテンくずれ、フラワーチルドレンの類が集まったものだと感心させる、異様な出で立ちの群衆が、そこにはうんかのごとく集っていた。
尤も、かくいう私もロンドンブーツに派手なパンタロン、インディアン風の革のベストに、同じ素材のヘアバンドで髪を括っているという出で立ちだから、人のことは言えないのだが……。(~_~;)
サブステージで“モップス”と“佐藤允彦トリオ”の演奏を観て、夕刻が近付いてくるころ、私たちは一段高い場所に設営されていたメインステージに移動した。
“バブルガムカンパニー”の意外に力強いサウンドに打たれ、“バフィー・セントメリー”のいかにもフラワー・ジェネレーションらしい、「手をつないで一緒に歌を!」の呼びかけに赤面するころには、陽も西の端に沈み、流れ行く雲に当てられた七色の照明が、メインの“ピンク・フロイド”のステージへの期待を増加させる。
気が付けば、一帯には怪しい煙とアブナイ匂いが漂い、どこからかその素になるものが回されてくる。そしてその煙の素は、我がグループを経由して、ごく自然に隣の仲間へと渡っていく。やがて糸居五郎さんのMCに乗せて、見たこともない巨大なPA装置から、オートバイの疾走する音が響きわたってくる。そして始まったのは……。
『ATOM・HEART・MOTHER』~“原子心母”。いきなりのカウンターに、傍らで観ていたジョージ(ジョージ・ハリスンおたくの♀ヒッピー)が、身も世もなく泣きじゃくる。
天空に至る空間のすべてが、幻想的な音楽に包み込まれた至福のひととき。
後にこの種のコンサートは何度か経験することになるが、そのどの回にも及ばない感動がこのイベントにはあった。屋外、夜、人里はなれた里山、そんなあらゆる要素が融合した稀有な時間は、最後まで途切れることなく持続した。
『原子心母』『ユージン斧に気をつけろ』、本邦初演だったと記憶する『エコーズ』、『シンバライン』、そして映画“モア”でお馴染みだった『神秘』。全五曲は、悠久の時を刻むようにいつまでも終わらない気がしたが、恐らくは一時間くらいの演奏だったのだろう。
文字通りの夢見心地で会場をあとにして、さてどうやって東京へ戻ってきたのか、一向に記憶がないのは、まぎれもない本物に触れた底知れぬ感動ゆえか、あるいは会場に漂っていたあの怪しい煙のせいだったのか……。ヽ(´▽`)/
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