2006年11月21日 (火)

「県警対組織暴力」をもう一度

大西ユカリ姐さんのニューアルバム、「おんなのうた」を発売一カ月でようやく購入。

♪県警対組織暴力 深作欣二 あれからもう何年 雨の新世界東映

 県警対組織暴力 笠原和夫 アンタが何べんも言うてたから 脚本の人まで憶えてる

 県警対組織暴力 菅原文太 雨の新世界東映 併映 総長賭博とさそり~

と、たまらない歌が入っている。

アンタが何べんも言うてたから~、のアンタにオレも入るなと思い、併映 総長賭博とさそり~、の歌詞に何とまあ“昭和館”的な三本立てだと苦笑する。

「東京タワー」の和製フォークテイスト叙情青春譚よりも、こちらのユカリ姐さんの世界の方が、はるかに己の半生を悔い改めさせるぞと、今朝もまた一番に聴いている。

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2006年5月22日 (月)

化鳥の詩

 とても長い戦争だったわ。

 私の家は田圃二反の水呑み百姓だったの。でも、父さんが出征したあとは、だれも田を耕す人がいなくなってしまった。母さんが、心臓発作を起して倒れて、田は荒れ放題になり、草はぼうぼうと生えていた。

 米びつの中はいつでも空っぽだった。食べるものがなくて、盗みもしたわ。その頃、田を売らないか、という話があった。

 母さんは嫌だと言った。黒い鞄を持った借金取りが毎日、やって来て田を売ることをすすめたんだけど、母さんは半狂乱になって、父さんに申し訳がない、父さんが帰ってくるまでは、田を手放すことなんかできないと言っていた。

 だけど、その母さんも、まもなく死んだわ。そして、田は人手に渡ることが決まり、わたしは他の町の親せきに引き取られることになった。

 わたしは真夜中にそっと起き出して、売られてしまった後の夜の冬田に死んだ母さんの真赤な櫛を埋めたわ。

 夜になると、埋めた真赤な櫛が唄をうたった。畑をかえせ、田をかえせ、櫛にからんだ黒髪の、十五の年の、お祭りの、お面をかえせ、笛かえせ、かなしい私の顔かえせ。

 私は焼跡の女巡礼、うしろ指の夜逃げ女、泥まみれの淫売なのです。

「母さん、どうか生きかえって、もう一度あたしをにんしんして下さい。あたしはもう、やり直しができないのです。」

 夢の中で、あたしは何度も田舎へ帰ってきたわ。そして帰って来るたび、田を掘り起こした。すると、どこを掘っても真赤な櫛が出てきた。

 村中の田という田から、死んだ母さんの真赤な櫛、うらみの真赤な櫛、血で染めた真赤な櫛が百も二百もぞくぞくと出てきた。

 そして、どの櫛も口を揃えてあたしに言った。

「女なんかに生まれるんじゃなかった」「人の母にはなるんじゃなかった。」

詞:寺山修司 朗読:八千草薫  『田園に死す』(1974年ATG作品)より

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2006年5月21日 (日)

惜春鳥

姉が血を吐く、妹が火吐く
 謎の暗闇壜を吐く

  壜の中味の三日月青く
   指でさわれば身もほそる

    ひとり地獄をさまようあなた
     戸籍謄本ぬすまれて

      血よりも赤き 花ふりながら
       人のうらみを めじるしに

        影を失くした天文学は
         まっくらくらの家なき子

          銀の羊とうぐいす連れて
           わたしゃ死ぬまで、あとつける

詞:寺山修司 曲:J・A・シーザー 唄・蘭妖子 天井桟敷合唱団 (『田園に死す』より)

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2006年5月18日 (木)

終末のタンゴ

ドンナ人間ニモ カナラズ終リハ来ル
 ドンナ世ノ中ニモ カナラズ終リハ来ル

  美シイ人モ 勇マシイ人モ
   ヌケメナイ人も イツカハクタバル
    ソノ日ノタメニ キタエテオコウ
     キミノ覚悟ノスベテヲ

      自殺・他殺・虐殺

       ドンナ愛情ニモ カナラズ終リハ来ル
        ドンナ恍惚ニモ カナラズ終リハ来ル

         大キナ人モ 短イ人モ
          シツコイ人モ イツカハ終(ハテ)ル
           ソノ日ノタメニ キタエテオコウ
            キミノ体ノスベテヲ

             腹筋・海綿・括約筋

              ドンナ革命ニモ カナラズ終リハ来ル
               ドンナ演説ニモ カナラズ終リハ来ル

                信ジル人モ 夢ミル人モ
                 飲ミスギタ人モ イツカハ醒メル
                  ソノ日ノタメニ キタエテオコウ
                   キミノココロノスベテヲ

                    挫折・屈折・変節・総括

詞:能吉利人 曲:桜井順 唄:野坂昭如 『分裂唄草紙』(1974年エレックレコード)より

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2006年5月17日 (水)

おんじょろ節

さみしい桜のひるさがり ほそい小指をからませて
行くのそれとも行かないの 男と女のけものみち

おんじょろ おんじょろ おんじょろよ
オトコモオンナモ おんじょろよォ

とんびがくるりと輪をかいた

  やさしい柳のあめあがり ながいまつ毛につゆためて
  くれるのそれともくれないの あなたの心の部屋の鍵

  おんじょろ おんじょろ おんじょろよ
  オトコモオンナモ おんじょろよォ

  見てはいけないものを見た

    かなしい楓のゆふまぐれ うっすら三日月眉よせて
    死ぬのそれとも死なないの 夜風はからだによくないわ

    おんじょろ おんじょろ おんじょろよ
    オトコモオンナモ おんじょろよォ

    逢ってはいけない人でした~

詞:能吉利人 曲:桜井順 歌:野坂昭如 『分裂唄草紙』(1974年エレックレコード)より

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2006年5月16日 (火)

幸福(しあわせ)のどん底

しん底しん底お前に惚れて おれは幸福のどん底よォ
 しん底しん底お前は天使(あくま) おれは幸福のどん底よォ
  GONE GONE GONE GONE GONE GONE GONE

   酒はうまいし戦争ハないし おれは幸福のどん底よォ
    唄をうたえば涙も出るし おれは幸福のどん底よォ
     GONE GONE GONE GONE GONE GONE G

      女を立てればこの世は平和 おれは幸福のどん底よォ
       腹も立たなきゃチンポも立たぬ おれは幸福のどん底
        GONE GONE GONE GONE GONE GONE

         念仏となえてお前と寝てりゃ おれは幸福のどん底
          なんにもきこえぬなんにもみえぬ おれは幸福の
           GONE GONE GONE GONE GONE G

            遠くに行きたきゃ国鉄あるさ おれは幸福のど
             ふるさと売って切符を買うさ おれは幸福の
              GONE GONE GONE GONE GONE

               にっぽんダメならアメリカあるさ おれは幸
                アメリカダメならにっぽんあるさ おれは
                 GONE GONE GONE GONE GO

詞:能吉利人 曲:桜井順 唄:野坂昭如(限定版レコード『鬱と躁(1972年)』より採録)

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2006年4月 1日 (土)

猥歌採録・梵坊の子守歌

♪一つ 昼もする 炭鉱の梵坊(ぼんぼ)よ
 二つ 船でする 船頭の梵坊よ
 三つ 道でする 乞食の梵坊よ
 四つ 呼んでする 芸者の梵坊よ
 五つ いつもする 夫婦(めおと)の梵坊よ
 六つ 無理にする 強姦の梵坊よ
 七つ 泣いてする 別れの梵坊よ
 八つ 山でする 樵(きこり)の梵坊よ
 九つ 今度する 義理ある梵坊よ
 十で とうとう せんずりかいて死んだよ 死んだよ~♪(チーン)

※ちなみに“ぼんぼ”とは北九州の炭鉱地帯の方言で、男女の営みのことです。(#^_^#)

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2006年2月10日 (金)

MITSUYOSHI AZUMA & THE SWINGING BOPPERS

mizugameさんご推奨のジャイブバンド、その『Squeezin’& Blowin’』と題されたCDが届いて、昨夜から幾度となく聴き込んでいる。

一聴驚天、二聞動地、再見微苦呵々悶絶大笑の代物である。一曲目の『やっぱり肉を喰おう』からラストの『小学校のあの娘』まで、文字通りにSqeezeし、Blowするホーンとギター、スイングするリズム、しゃがれたボーカルがひたすら心地好い。

ちょっと見には脱力系に聴こえなくもないサウンドだが、どっこいその味は濃い、深い。そしてとてつもなくアウフヘーベンさせてくれる絶品である。

聞けば、リーダーの吾妻光良氏は日本テレビの社員である(あった?)という。その他のメンバーも多くは現役のサラリーマンで、年に数度のライブしか行わない、コアでスノッブなファンを持つバンドなのだと知る。

すでに二十年余の歴史を誇る、これほどの戯作者たちを知らなかったとは、情報過疎地に住まう身とは言え、ひたすら己の不明を恥じるのみだ。(~_~;)

オジさんたちの応援バンド(と、勝手に命名)を標榜するごとく、『嫁の里帰り』『道徳HOP』の二曲はまさに珠玉の名編だと思うが、個人的には四曲目の『中華 Baby』が、もっともツボにはまった。♪中華街で会った女の娘 綺麗さ まるで楊貴妃~♪

♪One time baby, she’s my baby, hard to make it all night long~♪

続くこのフレーズが、いつの間にか♪雲呑 Baby 焼売 baby 春巻きall night long~♪と替え歌になっているくだりには、宇宙的ギャグセンスすら感じてのけ反った。

スゲエ! 『上海バンスキング』も『スウィング・ガールズ』も顔色なしの真物だ。

こうなったらもう、残りの音源をすべて手に入れるしかない。いまネットを検索したところでは、『STOMPIN' & BOUNCIN'』 『ヘップ・キャッツ・ジャンプ・アゲイン』『スウィング・バック・ウィズ・ザ・スウィンギン・バッパース』の三タイトルが目につくが、ほかにも何か見逃しているアルバムがあったら、mizugameさんご教示を。m(_ _)m

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2006年2月 9日 (木)

『愛の讃歌』、越路吹雪から大西ユカリ姐さんまで

初めて越路吹雪の生ライブに接したのは、1967年の11月・武道館でのことだった。その年に入学した大学の、学園祭の前夜祭が武道館で行われ、メインゲストとして彼女がフィーチャーされていたのである。

そのコンサートで、私はやはり生まれて初めての経験をした。イントロのメロディに乗せて越路さんがステージに登場した瞬間、全身が総毛立つような感動に襲われたのである。華がある。オーラがある。そして何より本物がそこにいる。

後に、ディープ・パープルの伝説の武道館ライブや、箱根アフロディーテのピンク・フロイド、新宿厚生年金会館のボブ・マーリィとウェイラーズ、そしてジャンル違いだが1977年の富士スピードウェイでのF1日本グランプリなどで、同じような感動を立て続けに味わったが、これこそ本物だと実感した処女体験として、あれから四十年近くが経った今も、越路吹雪という名前は私の胸の中に深く刻み込まれている。

その越路さんの十八番だった『愛の讃歌』。元はエディット・ピアフのヒットカバーである名曲を、大西ユカリ姐さんがさらにカバーして歌っている。

『実録大西ユカリ・ショウ』、この三年あまり前に発売された二枚組のCDを、恥ずかしながらやっと聴くことができた。そして、久しぶりに全身が総毛立つ感覚を思い出した。名盤だ。華がある。オーラがある。何より本物がそこにいる。(⌒▽⌒;)

ディープだ。ソウルフルだ。セクシーだ。ファーストナンバー『幻のブルース』の、「ああ~ 追えば追うほど 逃げてゆくわ~」という、野太いボーカルが響いたその一瞬で、私の心臓は他愛もなく鷲掴みにされた。あとはもう、ひたすらのエクスタシーだ。

『恋のゴーカート』『恋はスバヤク』『ABCからZまで』『天使の憂鬱~恋のサバイバル』『Z最終便』……そしてアンコールナンバーの『雨の日のあやまち』に至るまで、いいように胸をかき回された挙げ句、「ふう、気持ちよかった」と、ムサい親父がまるで性感帯を刺激され続けたうぶい女のように、上気し満足しきっていた。(#^_^#)

これで老後の楽しみがまた一つ増えた。

この業界をリタイアしたら、ユカリ姐さんの追っかけになって、全国を股にかけて飛び回るのだと決意した、遅すぎるめぐりあいの二枚組CDであった。と、これを聴けと勧めてくれたごひいき、“いちろう”さんに深く感謝する次第である。

PS:こんな辺境ブログが関係者の目に留まることはないと思うが、万が一彼女にツテのある方が読む機会があったなら、ユカリ姐さんには是非、小林旭の『ダイナマイトが150トン』をカバーして歌って欲しいと、伝えていただきたい──。(^0_0^)

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2005年11月12日 (土)

青山246深夜族の夜

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24才から25才にかけて私は青山に住んでいた。

正確な地名は神宮前5丁目。宮益坂を上って青学に向かう少し手前、国道246に面して、いまは“子供の城”に建て変わった元住宅供給公社のメゾネットタイプアパートだった。

スポーツニッポン新聞で請け負っていた、“キャンバスNOW”というコラムの事務所を兼ねていたその部屋には、じつにさまざまな人種が出入りしていた。

上の写真は、その中の一人・音楽プロデューサーの寺本幸司さんが製作したLP、野坂昭如氏の伝説のレコードジャケットである。『鬱・躁』とタイトルされたこのレコードは、三千枚プレスの限定版として発表され、我が愛蔵盤には“3000分の1386枚目”という刻印とともに、野坂さんのサインと印鑑が捺されている。

さて、当然のことながら、レコードを聴くときにはターンテーブルの真ん中にある突起に、盤の穴を通さなければいけない。ところが、“VIRGIN・RECORD”と名乗る怪しげな会社から出されたこのLPには、その盤の中心の穴に薄い和紙が貼ってあった。

この和紙を突き破って、ターンテーブルの突起に通さない限り、レコードを聴くことは出来ない。つまり、“VIRGIN・RECORD”とはまさにその名の通り、先ずは処女を破ってからという、いささかシャレのきつい仕掛けが施されていたのだ。(真ん中の写真にはその処女膜を破った痕跡が残っている。(^_^X))

以下、収録されているナンバーを列記してみる。

表面:
(1)某女子大学園祭での講演
(2)嗚呼天女不還(マリリン・モンロー・ノーリターン):能吉利人詩、桜井順曲
(3)梵坊の子守歌(松浦地方の子守歌):桜井順編
(4)バージン・ブルース:能吉利人詩、桜井順曲
(5)大脱走:能吉利人詩、桜井順曲

裏面:
(1)花ざかりの森:能吉利人詩、桜井順曲、山本幸三郎編
(2)幸福のどん底:能吉利人詩、桜井順曲、山本幸三郎編
(3)バイバイベイビー:吉岡オサム詩、桜井順曲
(4)唐紅のブルース:金井美恵子詩、桜井順曲
(5)おりん巡礼歌(当世覗きからくり):吉岡オサム詩、桜井順採譜
(6)黒の舟歌:能吉利人詩、桜井順曲、山本幸三郎編
(7)黒の子守歌:杉山登志・能吉利人詩、桜井順曲

で、話は突然“クレイジーケンバンド”に変わる。

『青山246深夜族の夜』と題され、二年前に発売されたCDアルバムの存在を、私はつい最近知った。そしてこのライブ盤の中で、ほかならぬ野坂氏がゲストとして招かれ、往年の歌を熱唱していることに今さらながら驚いた。

『マリリン・モンロー・ノーリターン』、『バージン・ブルース』、『黒の舟歌』、そしてもう一枚の私の愛聴レコード、“分裂歌草紙”に収められている『終末のタンゴ』──。

いずれも名曲中の名曲で、かねてから何故こんな傑作がカラオケに入っていないのだと、飽きることなく抗議し続けてきた粒揃いである。いや、嬉しかった。(^o^)

寡聞にして、CKBと野坂さんがどんな経緯で結びついているのかは知らない。だが、時代の趨勢に押し流されて、てっきり忘れ去られてしまったと思い込んでいた貴重な遺産が、こんな形で後続の世代に受け継がれていることを知っただけでも、世の中捨てたもんじゃないんだなと、独りで悦に入っている昨日今日なのである。

あ、余談だが、同じアルバムに収められた、クレイジーケンバンドによる平山三紀のカバー、『真夜中のエンジェル・ベイビー』がこれまた良い。さっそくオリジナル曲と併せたマイCDを焼いてみようと思っている。。。V(^0^)

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2005年11月11日 (金)

八月の濡れた砂

sand『八月の濡れた砂』という映画を、初めて観たのはいつだったか?

おそらく封切り時の1971年、当時の新宿日活でと記憶するが、もう定かではない。ただ一つ言えるのは、その後池袋文芸坐、銀座並木座と映画がかかるたびに、何十回となく通ったということだ。

その後、林美雄氏を通じて石川セリさんと知り合うことが出来、彼女が歌うあの主題歌「♪あたしの海を 真っ赤に染めて~」というフレーズは、『歌う銀幕スター・夢の狂宴』での思いがけない生歌に結実していくことになる。

上の写真は、ほとんどのレコードを売り飛ばしてしまい、後に激しく後悔することになる私が、これだけはと手元に残しておいた秘蔵盤の貴重な一枚である。

その『八月の濡れた砂』を、大西ユカリという女性歌手がカバーしていると知り、興味を引かれて買い求め聴いてみた。『昭和残唱』、全13曲──。

彼女のコアなファンに罵倒されることを覚悟で告白すると、これほどのシンガーを私は今まで名前すら知らなかった。そう懺悔したくなるほど鋭いアルバムだ。

石川セリが歌う『八月の……』は、どこまでも広がる湘南の海を、俯瞰で捉えながら上空へ舞い上がっていく、空間浮遊のイメージである。

それに対して、大西ユカリが歌う『八月の……』は、倦怠感ただよう場末のキャバレー、それも放浪の果てにたどり着いたスペイン辺りの港町で、思いがけず遭遇した頽廃の歌声といった趣を感じさせる。

トニー・ガトリフの傑作『VENGO』の中で、唐突に『ラブユー・東京』が耳に突き刺さってきた、あの瞬間を思い起こさせるといえば、少しは分かってもらえるだろうか。

Coba氏の弾く、身も蓋もなくセンチメンタルなアコーデオンの伴奏が、心地好い感傷を誘い、私はたちまち彼女の妖しい歌声に魅入られてしまった。

同じことは、アルバム中に収録されている、『かもめ』や『ざんげの値打ちもない』といった、思い出深い名曲のカバーについても言える。

ひたすら黒のイメージで歌われる、浅川マキの『かもめ』は、大西ユカリにかかると明滅するネオン管のステージ上での、官能の歌に変貌する。

ガラスの破片のように鋭角的なイメージで歌われる、北原ミレイの『ざんげの値打ちもない』は、アナーキズムの先端を生きてきた女が、最後に至った悟りにも似た境地を思わせ、迷路へ誘われているような幻惑を覚えさせる歌へと変わる。

こうなったら、いちろう氏推薦の『実録!大西ユカリショー』のCDを何としても買い求めるしかないのだが、残念ながらこれが神奈川県の僻地には売っていない。明後日、新宿へ出たついでに探してみるか、それともネットで注文するか。

こうして周回遅れのオヤジファンは、情報過疎地に住まう境遇を呪いながら、こいつは癖になりそうだと、“大西ユカリと新世界”にどっぷりとはまり始めている。。。(^^ゞ

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2005年10月26日 (水)

箱根アフロディーテ

先日、と言っても二カ月以上前になる八月のある暑い日、調べ物と避暑をかねて箱根の芦ノ湖畔へ出かけた。

その取材を済ませて、関所跡から湖畔の並木道をたどり、お茶でもするかと山のホテル方向へ歩いているとき、ふと三十年以上前の光景が蘇ってきた。

1971年の8月6日、私は胸まで伸びた長髪を風になびかせて、同じこの道を歩いた。そう、あの伝説の野外イベント『箱根アフロディーテ』の観客の一人として……。

『箱根アフロディーテ』は、日本では初めてと言っていい、野外で開かれた本格的なロックコンサートで、先ごろ話題になった亀ちゃんや、糸居五郎さんなどが中心になって、日本でも“ウッドストック”をというコンセプトのもとに企画された一大イベントだった。

何しろ、メインのアーティストはあの『原子心母』の“ピンク・フロイド”、前座を『サイモン・セッズ』の“バブルガム・カンパニー”と、『いちご白書』の“バフィー・セントメリー”が務めるという豪華布陣。

加えて、日本側からは“モップス”、“成毛滋&つのだひろ”、“ハプニングス4”、“渡辺貞夫”に“菊地雅章”に“佐藤允彦”らのグループが迎え撃つというプログラムだから、当時のヒッピーまがいの若者たちがこれを見逃す手はない。

その頃、私は大学を卒業するかしないのかの瀬戸際で、先輩の松原敏春さんの門下に入り、あるロックミュージカル公演の手伝いをしていた。(そのミュージカル『ロック戦争』については、いつか稿を改めて書こうと思う)

その松原さん、喰始さん(ミュージカルの主宰者の一人だった)を筆頭に、仁、ジョージ、サラ、ピタゴラス、TON、お京などと、今に至るも本名を知らない役者たちと一緒に、私はその朝小田原駅に降り立ち、バスに乗り換えて会場へ向かった。

コンサートが行われたのは、現在成蹊大学の某施設がある辺りの斜面、当時はもちろん一面の草原だっただだっ広い敷地である。

hip それにしても、よくもこれだけヒッピーまがい、フーテンくずれ、フラワーチルドレンの類が集まったものだと感心させる、異様な出で立ちの群衆が、そこにはうんかのごとく集っていた。

尤も、かくいう私もロンドンブーツに派手なパンタロン、インディアン風の革のベストに、同じ素材のヘアバンドで髪を括っているという出で立ちだから、人のことは言えないのだが……。(~_~;)

サブステージで“モップス”と“佐藤允彦トリオ”の演奏を観て、夕刻が近付いてくるころ、私たちは一段高い場所に設営されていたメインステージに移動した。

“バブルガムカンパニー”の意外に力強いサウンドに打たれ、“バフィー・セントメリー”のいかにもフラワー・ジェネレーションらしい、「手をつないで一緒に歌を!」の呼びかけに赤面するころには、陽も西の端に沈み、流れ行く雲に当てられた七色の照明が、メインの“ピンク・フロイド”のステージへの期待を増加させる。

気が付けば、一帯には怪しい煙とアブナイ匂いが漂い、どこからかその素になるものが回されてくる。そしてその煙の素は、我がグループを経由して、ごく自然に隣の仲間へと渡っていく。やがて糸居五郎さんのMCに乗せて、見たこともない巨大なPA装置から、オートバイの疾走する音が響きわたってくる。そして始まったのは……。

『ATOM・HEART・MOTHER』~“原子心母”。いきなりのカウンターに、傍らで観ていたジョージ(ジョージ・ハリスンおたくの♀ヒッピー)が、身も世もなく泣きじゃくる。

天空に至る空間のすべてが、幻想的な音楽に包み込まれた至福のひととき。

後にこの種のコンサートは何度か経験することになるが、そのどの回にも及ばない感動がこのイベントにはあった。屋外、夜、人里はなれた里山、そんなあらゆる要素が融合した稀有な時間は、最後まで途切れることなく持続した。

『原子心母』『ユージン斧に気をつけろ』、本邦初演だったと記憶する『エコーズ』、『シンバライン』、そして映画“モア”でお馴染みだった『神秘』。全五曲は、悠久の時を刻むようにいつまでも終わらない気がしたが、恐らくは一時間くらいの演奏だったのだろう。

文字通りの夢見心地で会場をあとにして、さてどうやって東京へ戻ってきたのか、一向に記憶がないのは、まぎれもない本物に触れた底知れぬ感動ゆえか、あるいは会場に漂っていたあの怪しい煙のせいだったのか……。ヽ(´▽`)/

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2005年10月25日 (火)

ETTA・JAMESと大上瑠利子

ruriko エタ・ジェイムスと天童よしみは、歌の巧さとその容貌において相似形をなしていると、以前に書いた。(10月4日稿

今回はもう一人の相似形、70年代に日本のジャニス・ジョプリンともてはやされた天才歌手、大上瑠利子についてである。

残念なことに、いま彼女の歌を知る人はそう多くないが、昔からのファンなら“スターキング・デリシャス”をバックに「♪好きやで 好きやで 好きやで~」とシャウトし続けた、オーティス・レディングの『ザッツ・ハウ・ストロング・マイラブ・イズ』や、BOROの名曲『大阪で生まれた女』の熱唱をたちどころに思い浮かべるはずだ。

ruri3『大阪で生まれ女』は、BORO自身の名唱に加えて、当楼のごひいきさん方には特にハギワラさんのカバーがお馴染みだろうが、私はひそかに彼女の歌にトドメを刺すと思っている。

その『大阪で生まれた女』については、かつてこんなことがあった。

ロマンポルノの観客動員がやや頭打ちになって、少しコンセプトを変えてみようと、日活が“歌謡ポルノ”なる路線を打ち出したことがある。

ある特定の曲を主題歌に、男と女が滑った転んだする性愛ドラマを作って、起死回生のヒットを狙おうという目論見の、第一弾が『三年目の浮気』と『ブルーレイン大阪』という二本立て。その八代亜紀の歌をフィーチャーした、『ブルーレイン大阪』の脚本を私が書いた。(ちなみに監督は小沼勝さん)

今にして思えば、よく八代さんサイドが使用許可を出したものだと思うが、まあこちらも有体に言って、最後にその曲を流せばいいんだろうくらいの、高ピーな姿勢でホンを書いた覚えがある。(おかげで映画はコケたが…(>_<))

日本のサーカス芸人たちを撮り続けたカメラマンと、その男について各地を放浪した過去を持つ一人の女。今は大阪のクラブで小ママを務める女が、偶然そのカメラマンと再会する。男はサーカスの女パフォーマーと、相変わらず自堕落な生活を送っていて、心ならずもさよなら三角また来て四角の関係が再燃していく。

本橋成一氏の写真集『サーカスの時間』を使って、彼のショットを挿入しながら進むその映画に、大上瑠利子の『大阪で生まれた女』を流そうと企んだ。ヒロインの設定そのものの曲であり、彼女の熱唱がたくまずしてその心情を顕すと信じたからだ。

だが、残念なことに大上さんはその申し出に首を縦に振ってくれなかった。

ポルノ映画であるという思い込みが、許諾を躊躇させたのだろう。内心落胆しながら、それでも私は彼女のファンであることをやめなかった。それほどに彼女の歌は魅力的であり、その存在は日本でも確かにブルースが成立するという証だった。

ここに一枚のLPレコードがある。

『ええ歌ばっか。』──数少ないながら、大上さんのことについて触れているサイトでも、殆どというか一言も書かれていない、文字通りまぼろしのレコードである。

(1)UP・SHOT 作詩:VINYL 作曲:宇崎竜童
(2)空っぽのピルケース 作詩:VINYL 作曲:宇崎竜童
(3)あなたに恋して 作詩:KURO 作曲:西岡恭蔵
(4)サミー・ボウ 作詩:阿久悠 作曲:大野克夫
(5)悲しみのポートタウン 作詩:中村かづみ 作曲:高橋イタル
(6)ロケット・ウーマン 作詩・作曲:岡本一生
(7)夢づくし 作詩:VINYL 作曲:宇崎竜童
(8)CRAZY・LOVE 作詩:中村かづみ 作曲:大上瑠利子
(9)あの娘のBye-Bye・Blues 作詩:KURO 作曲:西岡恭蔵

作詩、作曲に並ぶ、綺羅星のような名前をみただけで、このLPがいかに名盤であるかお分かりいただけるだろうと思う。

(4)の『サミー・ボウ』は比較的有名な曲で、阿久悠さんと大野克夫さんの知る人ぞ知る傑作。(1)、(2)、(7)は竜童節が炸裂する、それぞれに趣の違う名作ぞろい。(VINYLの正体は阿木さん?)。そして、何と言ってもKURO、西岡恭蔵の、いまは鬼籍に入ってしまったあの伝説の夫婦の名前が感傷を誘う。

こういう名盤をこそ復刻CDに起こすべきだと思いながら、今日もまた大上瑠利子、三上寛、野坂昭如という、徒花ながら本物の薫りをたたえた三人の歌は、どうしてカラオケに一曲も収録されていないのだと、憤慨している私なのである。。。(ё_ё)

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2005年10月21日 (金)

渋谷ジァンジァンの記憶

『渋谷ジァンジァン』は、公園通りの坂をNHK方面へ上がる途中の左側、山手教会の地下にあった。

あまり人には話したことのない事実だが、1970年ごろの一時期、私はその“ジァンジァン”に、一カ月に数度の割合で出演していた。

と言っても、もちろん歌を唄っていたわけではない。

当時在籍していた大学の落語研究会の連中で、『グループ・ぐる』という一団を作って、前座の落語を口演していたのである。

どうしてそんなことになったのか、今となってはもう記憶も定かではないが、店主のTさんが直接サークルにコンタクトしてきたのが始まりだった気がする。

メインのアーティストがステージを務める前の三十分ほどを、時に小咄、時に大ネタを演じて時間を埋めるという役割で、ほとんど誰も聞いていないというマイナーな舞台だったが、その代わりに多くの出会いがあった。

私たちが落語をやるときのメインの出演者は、大方の場合が浅川マキさんだった。

そのマキさんがどういうわけか私たちのことを気に入ってくれ、参宮橋にあったひいきの店に連れて行ってくれたり、プロデューサーの寺本幸司さんを紹介してくれたりした。

寺本さんとは後に一緒の仕事をすることになり、彼を通じて当時はイラストレーターだった島田荘司さんと知り合ったりしたのだから、縁は異なものというか……。

その頃の舞台を務めていたメンバーを、思い出すままに列記してみる。

長谷川きよし、RCサクセッション、南正人、高橋竹山、松岡計井子、モップス、そしてアンドレ・カンドレから本名に戻したばかりの井上陽水。

この内、特に陽水氏とは喰始さんを通じて親交が出来、『断絶』のLPを録音する際にスタジオへ遊びに行ったことなどを、昨日のことのように思い出す。

発売直後、「一万枚売れたんだって」と嬉しそうに語っていたそのアルバムが、瞬く間にミリオンセラーを記録することになるとは、誰も想像していなかったはずだ。

というわけで大売れっ子になって、マージャンを覚えた彼のマンションに、長谷川和彦や生江有二を連れてかもりに行ったこともあるが、その後名人の域に達したようで、(レートも含めて)もはや到底太刀打ち出来ないことだろうと思う。(笑)

それにしても、当時痛感したのは、ミュージシャンとは何と異性にもてる存在かということだった。当楼のごひいき黄さんによれば、彼らは目に見えない光線を出しているのだそうだが、まさにその通り、黙っていてもファンが吸いよせられてくる光景には、この世の無常を感じて、ただ指をくわえているしかないお粗末ではあった。。。(>_<)

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2005年10月20日 (木)

新宿ACBのGSたち

私の記憶が正しければ、『新宿ACB』は旧甲州街道を御苑の方角へ進み、新宿東映の裏を左に曲がった、大通りとの交差点付近にあった。

入り口でチケットを求め、地下への階段を降りていくその伝説のGS店へ、初めて行ったのは1967年のことだったと記憶する。

当時、大学入学を果たして九州の片田舎から上京してきたネクラ少年には、テレビ・ラジオで視聴するGSこそが、東京の姿そのものだった。

その音楽、というよりメンバーを生で観ようと、友人の一人もいないまま、寂しくライブ通いを繰り返していたのだから、私の音楽歴はのっけから暗いのだ。(~_~;)

99パーセントが今でいうコギャルたち、宝塚よりもさらに過激な少女たちの嬌声に圧倒されながら、最初に生で観たグループは、忘れもしない“ワイルドワンズ”だった。

『想い出の渚』で知られる彼らのサウンドは、レコードそのままに垢抜けた湘南の匂いをあふれさせ、憧れのアイビールックとともに今もこの目に焼き付けられている。

尤も、リーダーの加瀬邦彦さんは同じ大学の先輩なのに、どうしてこうもグレードが違うのだと、店を出るころにはまた暗くなっていたのだから、本当にコンプレックス少年だったのだなと、今さらながらに自分を笑ってしまう。

“タイガース”、“テンプターズ”、“ブルーコメッツ”、そして“スパイダース”と、綺羅星のようなGSに、毎回少女たちのパワーに押し戻されながら接するうち、彼らがテレビやラジオとは違う音楽を志向していることに気付いたのは、いつのころだっただろう。

とりわけその事実を意識したのは、“スパイダース”のライブを観たときだった。

堺正章、井上順両氏の軽妙なMCは、イメージしていたそれと同じで、会場は絶え間ない爆笑に包まれていたが、一旦演奏が始まるとメンバーの形相は一変した。

あの大ヒット曲『夕陽が泣いている』すら、45回転のEP盤で聴くサウンドとは、まったく様相を異にしていた。井上堯之さんのギターソロがアドリブをまじえて、まるでモダンジャズを聴くような雰囲気で続き、かまやつひろしさんがそれを受けると、続いて大野克夫さんのソロが半端じゃないテクニックを披露していく。

中でも圧巻だったのは、リーダー田辺昭知さんの数分間に及ぼうかというドラムソロだった。観客も心得たもので、拍手とともにそのアドリブを讃える。興が乗った彼は、何と小太鼓の上に仁王立ちになり、シンバルを連打してやんやの喝采を受ける。

この人たちは、本気で音楽(ロック)をやりたがっているのだ。

そう気付いた瞬間から、私のなかでグループサウンズを見る目がドラスティックに変わった。そう思って、入り口のミーハー精神を離れて見ると、じつは彼らのサウンドは思いの外にレベルの高いものだった。

それは、いわゆる前座と呼ばれる、もう一つのバンドに顕著だった気がする。“シャープファイブ”、“シャープホークス”、“東京ビートルズ”……。

そして、特筆すべきは“アウト・キャスト”。

メインのバンドとは違い、少女たちがほとんど耳を傾けずに聴き過ごしているステージで、彼らは人知れず本物のロックを演奏していて、しばし私を瞠目させた。

その『新宿ACB』がいつ店仕舞いしたのかは、寡聞にして知らない。

やがて来日相次ぐ洋楽ロックに目移りし、“ピンク・フロイド”や“キング・クリムゾン”等のプログレッシブロック、そして分野は違うが“レッド・ツェッペリン”を嚆矢とするハードロック、“ディープ・パープル”や“グランドファンク・レイルロード”、さらには神様“ボブ・ディラン”の生コンサートなどに熱中していったからである。

まだハタチそこそこの多感な時代、後に中の何人か、例えばハギワラさんや堯之さん、安岡力也さんや桜井五郎さんと仕事をすることになるとは、夢にも思っていない青春時代の、恥多くも懐かしい思い出ではあった──。(^0_0^)

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2005年10月 4日 (火)

ETTA・JAMESと天童よしみ

いつか島田荘司氏と会食したとき、一本の作品を書く際にそのドラマのテーマ曲を決めてかかるのだという話になったことがあった。

現在撮影中の某2Hは、ボブ・マーリィの『I SHOT THE SHERIFF(ライブ盤)』を聴きながら書いた。主人公のY刑事は、果たして携帯の着メロを何に設定しているだろうかと考えたとき、自然に浮かんできたのがかの名曲だったのだ。

同席した編集者氏は、その話を聞いてエリック・クラプトンのカバーを思い浮かべたようだが、かつて新宿厚生年金会館で、ボブ・マーリィのライブに接した貴重な経験をもつ私には、『アイ・ショット……』とくれば元祖のボブ以外にはない。

同じように、『ピンクのカーテン』の美保純ちゃんには「♪昨日さがしたアイウエオ いつか忘れたカキクケコ~」と三上寛の歌を唄わせ、他のロマンポルノでも「♪牛のように豚のように殺してもいい われ一介の肉塊なり~」と戸川純ちゃんを口ずさむヒロインを設定し、某昼帯では悩めるヒロインのテーマ曲を、「♪笑って~ 笑って~ 笑ってキャンディ~」と『キャンディ・キャンディ』のアニメ主題歌に据えた。

どうでもいいことなのだが、その人物のテーマ曲が浮かんできたときに、自分の中でキャラクター設定が出来てしまう瞬間があるのだから仕方ない。

というわけで、次回作を書く際のテーマ曲として、いまはエタ・ジェイムスの『I'D RATHER GO BLIND』を聴いている。このセンチメンタルなブルースがまた、近ごろめっきり涙腺の緩んできたオヤジの、琴線をくすぐってたまらないのだ。

伝説のハスラーの隠し子と伝えられる、この稀代のブルース歌手は、容貌と歌の巧さの二点において、天童よしみと相似しているという説がある。誰が言いだしたことなのか、初めてその説を聞いたときには、「なるほど!」と思わず膝を打った。

一見冗談めかしているようでありながら、そのじつ深いところである本質をえぐっている。こういうアフォリズムが、私は昔から好みだ。

おっと、そうこうしている内に、曲はB・B・KINGの『THE THRILL IS GONE』に変わった。しばらくはブルース三昧の日々のなかで、柳ジョージばりに「♪古い回帰の上をさまようか~」と“プリズナー”を気取ってみるのも、シャレにならないオヤジギャグで、そのぶんシニカルかつアイロニカルに笑えるかもしれない。( °O °;)

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2005年8月25日 (木)

レイニーウッドを紅白に!

桃色吐息楼のごひいきさんであり、筋金入りの『柳ジョージとレイニーウッド』ファンでもある“黄”さんが、『レイニーウッドを今年の紅白に!』という運動を始めた。

去る四月、神奈川県民ホールで開かれた復活コンサートを、彼女の手引きで観覧した楼主、及ばすながらそれに協力したく、興味のある方先ずは彼女のブログへ飛んで、その趣旨を読んでみてくださいとお願いいたします。o(^o^)o!

http://blogs.yahoo.co.jp/kiki4320jp/9596941.html

それにしても近ごろのYAHOOのブログ、またもや重くなった気がするぞ。(` ´)

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2005年7月22日 (金)

GEORGE, SAM & SMOKEY

pinkhouse 十年前、神奈川県の僻地に家を建てるという話が持ち上がったとき、真っ先に“THE BAND”の『MUSIC FROM BIG PINK』の裏ジャケに写っている、あの“PINK HOUSE”のような家を造りたいと思った。

左の写真のピンクのお家である。

しかし、昔ながらの農家が点在する地域に、このアバンギャルドな色彩は馴染まず、周りとの調和も考えて、結果的には大人しい色調の家を造営した。

のだが……。

“PINK HOUSE”というえも言われぬ響きには、どうしても愛着断ちがたく、出来た住居には“桃色吐息楼”という屋号を付けてしまった。(^^);;;;;

bandさて、知っている方には何を今さらの話だが、このアルバムの表のジャケ写はボブ・ディランが描いた絵である。

そのディランの名曲、『I SHALL BE RELEASED』が収められた盤として、これだけは売ることなくレコードのまま今でも所有している 。

『I SHALL BE RELEASED』は70年代初頭、日比谷の野音で開かれるロックイベントに行くと、“ブルース・クリエーション”がよくカバーで歌っていたことを思い出すが、私にとってのベストカバーは、何と言ってもニーナ・シモンである。

ついでに言えば、『風に吹かれて』はまだ“リトル”が冠に付いていた頃の、スティービー・ワンダーのカバーが最高。(45回転ドーナツ盤をやっぱり今でも所蔵。(^^)v)

で……。

話はいきなりサム・クックとスモーキー・ロビンソンに飛ぶ。

サムがボブ・ディランの『風に吹かれて』を聴いて衝撃を受け、「あんな凄い歌を白人が作るなんて」と発奮して作った曲が、『A CHANGE IS GONNA COME』だということは、ファンの間では広く知られたエピソードだと思う。

そのボブ・ディランは、スモーキー・ロビンソンを評して、「世界で最高の詩人だ」と絶賛したと聞く。『YOU'VE REALLY GOT A HOLD ON ME』──“CRUSIN'”とともに、まったく色あせないまま、今日まで歌い継がれている名曲だ。

そんな二人のヒット曲を、日本では“柳ジョージとレイニーウッド”がカバーしている。名盤『WOMAN & I 』に収録された『A CHANGE IS GONNA COME』と『YOU'VE REALLY GOT A HOLD ON ME』。何とそのLP二枚組を古レコード店に売り払うという、痛恨の失敗をかつて犯した私に、黄さんが快く音源を提供してくれた。

聴いてます。

聴いて聴いて聴きまくって、ついに私家版の『I SHALL…』“THE BAND”“ボブ・ディラン(“LAST WALTZ”所収)”“ニーナ・シモン”三連発、『A CHANGE…』“サム・クック”“柳ジョージとRW”二連発、『YOU'VE…』“スモーキー・ロビンソンとミラクルズ”“柳ジョージとRW”二連発を、一挙収録したCDを焼いてしまった私でした。。。(^^)v

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2005年7月17日 (日)

WOMAN & I/SAM COOKE

柳ジョージとレイニーウッドの、金地に渋い黒文字が描かれた二枚組LP。

十五年ほど前、当時居住していた渋谷区の住まいのあまりの手狭さに耐えかねて、その名盤を浅川マキ、森田童子、山崎ハコ、下田逸郎、島田荘司等々の幻のレコードとともに、古レコード店に売り払った。

後年、神奈川県の外れに位置する、土地だけは広大な場所に移ってきて以来、その時の早まった行動が今でも痛恨事として悔やまれる。

そのLPの中に収録されていたサム・クックのカバーバージョン、『A CHANGE IS GONNA COME』を、どういうわけか次回作品のテーマ曲に使いたくなって、CDでもいいから買い直そうと、昨日の昼間小田原の街へ出かけた。

無い……。

品切れなのではない。そもそもあの名盤がCD化されていないのだ。

そんな馬鹿なと、しばし茫然自失でたたずむが、どうやらそれが紛れもない現実。う~ん、どうしたらいいのだとタワーレコードの店内をさまようこと十数分、ふと目を止めたブルース系の洋盤ラックに、サム・クック自身の原盤を発見する。

おお、そう言えばこのテープもいつの間にか劣化して聴けなくなっていたのだと気がついて、迷わずその場で購入。ついでにコーナーを隔てて陳列されていた、マービン・ゲイの『WHAT'S GOING ON』も添えてレジに差し出したときには、いつもながら何という懐古趣味だと、自分で自分に呆れ苦笑していた。(^^);;;;

それにしても、久しぶりに針を落とした……とは言わないか(笑)、ボタンを押して聴いたサム・クックの何と心地よいことだろう。

その悲劇的な最期から、夭折の天才歌手と呼ばれる彼は、いろいろな映像作家のお気に入りで、いくつもの楽曲が映画の挿入歌として使われている。

まず思い出すのは、ピーター・ウィアー監督の『刑事ジョン・ブック 目撃者』。はぐれ刑事ハリソン・フォードと、アーミッシュの貞淑な未亡人ケリー・マクギリスが、『(WHAT A) WONDERFUL WORLD』に合わせてジルバを踊るシーン。もう数年このシーンからは遠ざかっているが、何度見ても心浮き立つ名場面だ。

そして何といっても、スパイク・リー監督の『マルコムX』。マルコムの親友として、実名で登場するサムの歌が、冒頭からラストまでふんだんに使われていて、これまた悲劇的な末路をたどったマルコムへの哀惜とともに、観る者を酔わせてくれた。

ほかにもパトリス・ルコント監督の『フェリックスとローラ』、あと“グリーン・マイル”だったか“アトランティスのこころ”だったかでも(ちょっと記憶が定かではない……(>_<))、サム・クックの歌声はあの澄んだ高音でドラマに深みを与えていた。

その『A CHANGE IS GONNA COME』を、彼の影響をもろに受けている柳ジョージさんが歌っている。作品の舞台設定から逆算して、ここはサムのオリジナルではなく、ジョーさんのしゃがれただみ声でなくてはならないわけがある。

名にし負うレイニーウッドフリークの黄さんあたりなら、音源を持っているかもしれない。黄さんおよびその周辺に位置する、ブルース大好きの同好の士さんたち、もしあるよということであれば、私宛てにご一報いただければと思います。

追伸:デビュー盤の『ひとり』が聴ければそれも……。(^^);;;;;;;;;;;;;;

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2005年7月 6日 (水)

デュオ・アストロ

昨夜は大手町の日経ホールで、初来日のスパニッシュ・ギター・デュオ、『デュオ・アストロ』の演奏を鑑賞。

いわゆるコンサートの類に出かけるのは、四月の『柳ジョージとレイニーウッド』の復活ライブ以来だから、約二カ月半ぶりのことになる。

じつは、ガエル・チシェ、フランシスコ・ベニエールという二人のギタリストについては、まったく予備知識がないままの演奏会だったが、これが思いの他の拾い物で、二時間のライブを堪能した。

バッハの“シャコンヌ”に始まって、ご存じ“禁じられた遊び(懐かしすぎる!)”、“アルハンブラの思い出”、ファリャの“三角帽子”等々、聴き慣れた曲、未知の曲とりまぜて、静かな超絶技巧(ニュアンスが伝わらないか?)を楽しまさせてもらった。

何といっても、休憩時間にワインが振る舞われるというのが粋で良い。(^^)v

アンコールの一曲目、いきなり古賀メロディ“影を慕いて”のイントロが響いたのにも大受け。このど演歌のデュオがまた何とも超絶技巧で参ってしまう……。

真の名人に共通するのは、等しく肩から力が抜けているという事実だと思うが、この二人のアーティストの演奏はどこまでも繊細で、あまりに細やかな指の動きに、まるで自分が愛撫されているような官能を感じてしまったほどであった。

あらゆる芸術は音楽に嫉妬するとは至言。う~ん、セクシーだ。(^^);;;;;

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